第127回:Zac.海を渡る 其の壱(2002/11/10) | |
やはり時の過ぎ行くのは早いもので、私がアメリカへ行ってから1ヶ月が過ぎました。 帰ってきた時には「ベガス話を皆様に」と言っていたものの、そちらも手付かずで1ヶ月。 いや、事故でデジカメと写真を保存していたノートPCを壊して修理に出してしまい 写真の方が用意できなかったもので・・・決して忘れていた訳ではないんです。 そういった諸々の環境も戻ってきましたので、遅くなりましたがベガス報告を。 とは言っても、1日のスケジュールの大半は仕事でした。 昼間は勿論、夜は外人と一緒に食事したり、ミーティングやったり。 寝る前には日本にメール書く作業もあって、結局1日の睡眠時間は約3時間くらい。 自由時間は夕食後、ミーティングが始まる前に数時間取れるだけ。 まあ、土産物探しや買い物を兼ねて外に出るには十分な時間でしたけど。 そんな感じで思ったよりも忙しい日程だった6日間でした。 とりあえず適当に面白かった出来事などを並べる形式にします。 <日本の夜明け> 突然なんですが、私は極端な「攘夷思想」です。 攘夷と言ってもそんなに過激な意味ではなく、単に外の世界に興味が無いだけですが。 別に外国人に恨みはありませんが、これといった憧れもありません。 故に、生まれてこのかた海外など行ったことがありませんでした。 そんな私にいきなり「アメリカへ行ってこい」です。 しかも一人で。 本気で狂ってると思いました、うちの会社。 その昔、アメリカ人は日本人のちょんまげを見て 「頭に拳銃が付いている」と勘違いしたらしいですが、 私はアメリカ人は日本人がタクシーに乗ると、 郊外の砂漠まで運び込んで身包み剥がすものだと信じていました。 旅行雑誌の「ラスベガス攻略」の記事、ドンパチ起こす攻略だと思ってましたもん。 そのくらい、未知の世界だったんです。 結局、そんなことはありませんでしたけど。 あと、英語の読み書きはそれなりにできますけど、聞く話すは全くもってできません、私。 昔、養老の滝(飲み屋)で飲んでいたとき、 隣のボックスにいた外国人の集団(4人)と意気投合したことがあったんですけど、 そのときに「I am Ninja!!」と自己紹介したくらいですか、強いて挙げれば。 私は少なくとも4人の人間の目には「忍者」ということになっているわけですね。 そんな私が海を渡る、これはまさに日本の夜明けです。 でも、これでも前向きに考えてたんですよ。 自分のミッションをこなしてこれなかったらどうしよう、とか不安に思っても、 英語もろくに喋れない私を送り出した会社が悪い、と言い聞かせました。 でも、それどころじゃなく不安だったことは確かでした。 だって初海外で一人なんだもんなあ・・・。 <不安渦巻く成田空港> 空港での待ち時間、全然落ち着きがありませんでした。 どのくらい落ち着かなかったかというと、 空港の不○家で昼食を取った際、不○家の制服に目が行かなかったくらい。 重症なのがお分かりいただけると思います。 仕舞いには展望台で飛行機の離着陸を眺めてたそがれる始末。 その時の写真からも哀愁が漂ってきます <でも面白いぞ成田空港> 外人向け日本土産が凄いことになってました。 「日本」「寿司」「一番」とか書いたTシャツや手拭いがズラリ! 寿司の文字の下には寿司ネタが書いてありましたよ。 ま、ある程度は予想していた通りですが、 搭乗口で待機している外人さんが結構これらのTシャツを着てたのには参りました。 不安に駆られた状態の私でも、流石にこれは反応しましたね。 成田にこれだけでも買いに行きてぇ。 <紛らわしい電光掲示板> 私の乗る便は「UA」と「ANA」がセッションしてたらしいのですが、 そんなことこっちは全然知りませんでした。 ですから、タイムテーブルの電光掲示板も「UA」で出てるかと思ったら UAとANAが交互に表示されるような感じになってて、 (飛行記名がUA→ANA→UA・・・と切り替わっていた) 運悪くANAの表示中しか見てなかったもんだから自分の便が無くなったと勘違い。 慌てて会社に電話してインターネットで確認して貰いました。 わかんねえよ、ちくしょう。 <外人ZOC補正> 無事搭乗も済ませて一息。 でも、飛行機に乗ったらもうそこは日本じゃないのです。 何でも日本語でガイダンスしてくれる訳じゃないことに一抹の不安が。 まあ、日本からなら日本人客が多いだろう誰かに聞けばいいや、と思ったものの、 ものの見事に回りは全部外国人。 私へのZOC補正がかかりまくり 孤独という二文字をこれ程までに強く実感したことはありませんでした。 <狭い> エコノミークラス、狭すぎ。 国内線より絶対に狭いと思います。 まだ窓際で助かりましたけど、フライトアテンダントの声が聞こえないのには困りました。 まあ、こればかりは贅沢言ってられませんが。 <サンフランシスコ> 国内線への乗換えでサンフランシスコ(桑港)で降りたのですが、 上空からみたアメリカの街並みにビックリ。 そりゃシムシティが生まれた国な訳だと妙なところで関心。 シムシティっぽいんですよ、街並みが。 <緑が無い> 上空から見ていると、地面の殆どは土色をしていました。 緑が全然ないんです。 自然破壊どころか破壊する自然が無いぞ状態。 大丈夫なのか本気で心配しちゃいました。 <容赦ない> サンフランシスコに着いて日本の案内板って親切だと実感しました。 日本の案内板って、日本語の説明の他に英語や中国語の説明も入ってることが多いじゃないですか。 向こうはそんな素振り全くなし、容赦なく英語しか書いてません。 唯一、入国審査抜けた先に申し訳なさ程度「Welcome!ようこそ!」と書いてあるのみ。 というか、Welcomeくらい分かるわ!! もっと他の理解できなきゃマズイ所に日本語書けよ。 これも敗戦国の宿命なのだろうか。 <漢字ブーム> 今回のアメリカ行きで一番センセーショナルだった出来事がこれ。 サンフランシスコからラスベガスへの国内線に乗ったとき、 隣にいかにも「ヤンキー」なアメリカ人カップルが座りました。 男の方が隣だったんですけど、肘掛は堂々と奪うわ、足は投げ出すわ、もう見た目そのまんま。 タンクトップからはみ出す筋肉隆々の腕を見ても「こりゃ勝ち目は無い」と最初から私は敗戦ムード。 だがしかし、筋肉隆々の彼の腕には刺青がしてありました。 しかも私にとっては見慣れた漢字で。 アメリカに限らず、世界各国は「漢字」のブームだそうで。 勿論、その漢字の意味に焦点があるのではなく、形とかの格好良さがウケているみたいです。 まさかこんな所で見慣れた漢字が拝めるとは思ってもいませんでしたが、 いくらブームと言っても、「友引」は無いでしょう、あんた。 もう完敗です。 写真に収めたかったけど流石に無理でした。 ベガスまでの1時間、精神的に地獄だったことは言うまでもありません。 まあ、半分寝ちゃってましたけど。 とりあえず、第1回はここまでということで。 よく考えてみれば、まだベガスに着いてませんね。 ボチボチ忘れないうちにやってきます。 次回はベガスの写真も見せられると思いますのでお楽しみに。 予告も兼ねてちょっとだけお見せしましょう。 五重塔がありました NIGHTBREAKE (RIOT) [ NIGHTBREAKER / SONY RECORDS ] |