第333回:血の繋がり(2008/03/16) | |
私の父親はとても野球好きであります。 小学生から社会人までずっと野球やってまして、 高校時代は甲子園こそ行けなかったけど地区大会の決勝まで進んだ実績の持ち主。 大事に残してあった当時の新聞の切り抜きとか見せて貰った限り、 息子の私が言うのも何ですがそれなりに注目されていた選手だったようです。 (まあ、昔と今では野球というスポーツの価値観も変わっていますので、 どれだけ凄い選手だったのかは評価が難しいところかもしれませんが。) で、お約束というか当然というか、 野球好きの親らしく私の名前は親父の好きなとある野球選手から頂いております。 「桂木弥生が好きだから娘だったら『弥生』だ!」と言ってる息子も息子なら、 息子に自分の好きな野球選手の名前を付けた親も親です。 ここまで来るともはや野球バカと言っても過言ではありません。 まあ、当時はまだONが現役だったこともあり、 長嶋から貰って『茂雄』とか、王から貰って『貞治』とか、結構いたそうですし、 有名なところでは荒木大輔や松阪大輔の『大輔』ブームみたいな ○○ブームなんてのも数十年に1回くらいありまして、 野球選手から名前を貰うこともおかしいことではないんですけどね。 ただ、長嶋ブームで『茂雄』とか大輔ブームで『大輔』とか可愛いもんです。 理由を言えば「ああ、なるほど!」と大半は納得してくれますから。 うちの親父の場合、野球好きが高じてマニアックな目で選手を見ていたため、 『好きな野球選手』も全然ブームになっていない地味な野球選手でした。 だってその選手を好きな理由が『守備が上手い』ですよ。 「守備範囲の広さとグラブ裁きが惚れ惚れする」とかそんな理由ですよ。 子供の頃、父親に「俺の名前ってどうして決めたの?」って聞いたとき、 自信満々に「父さんの大好きな野球選手から貰ったんだ」と力説されて一瞬嬉しくなりましたが、 それが全然ブームにもなってない地味な選手だったことを知り、ガッカリしたものです。 「野球バカでなければその選手から名前は貰わない」と断言できます。 ・ ・ ・ ・ ・ さて、そんな守備の上手い野球選手から名前を貰った私ですが、 野球選手としては至って『平凡』なまま終わったものの、 プロやアマチュア問わず夢中で野球を観戦する立派な『野球バカ』に成長しました。 実家に帰るといつも岩瀬の年俸で口論するくらい、父親とは対等に野球の話ができます。 で、そんな『野球バカ』の私が現在好きなプロ野球選手は、 うちのサイトに出入りしている方はご存じの通り、中日ドラゴンズの英智選手になります。 Wikiから掻い摘んで引用すると以下の通り。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 英智 プロ野球界で屈指の俊足・強肩(ナゴヤドームのホームベースからセンターに向かって遠投してフェンス直撃)で知られ、 送球の体勢に入るとスタンドがざわめく光景が見られるほどである。 2004年、レフトアレックス、センター英智、ライト福留孝介と組んだ堅守で一躍有名となった。 最近は強肩が警戒され相手チームが進塁を自重する場面が多くなったため、送球で観客を沸かせる機会は少なくなった。 とは言え、地面すれすれの飛球を回転しながら捕球したり、フェンスに足を掛けてよじ登りながら捕球したりするなど 持ち前の運動能力の高さを生かしたダイナミックなプレーで守備のスペシャリストとして存在感を見せている。 走塁の技術にも磨きがかかり、試合の流れを変える頭脳的な好走塁も多い。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 一言でまとめますと「守備がとてつもなく上手い選手」です。 おそらく日本球界一と言っても過言ではないと思います。 (2004年にゴールデングラブ賞を受賞しておりますし、 週間ベースボールで『プロ野球選手の選ぶゴールデングラブ賞』とかやると必ず上位に入ります) ……親の血ってのはきっちり受け継がれているものですな。 結局、息子も同じように『守備の上手い』選手が好きになってました。 今はもう自分の名前にガッカリしていません。 むしろ、『守備の上手い』選手から貰ってくれて感謝しております。 ※ちなみに私の歴代ドラゴンズ贔屓選手は以下の通り (球場で着ているユニフォームや応援グッズの背番号遍歴とも言う) 『小松辰雄 → 鹿島忠 → 今中慎二 → 岩瀬仁紀 → 英智』 ピッチャーやってただけあって、ピッチャー贔屓時代が長かった。 <BGM> 少年少女よ、大志を抱け(車輪の国、悠久の少年少女オープニング) [ THE BEST GAME VOCALS OF あかべぇそふとつう / Five Records ] |